Review :「恋人たちの食卓」(1994年)

シカゴ大学の教授の日本人の男性から東洋を描いた出来の良い映画だと、しきりに勧められて観た思い出のある作品。

原題は「飲食男女」。監督のアン・リーによれば、そのタイトルの意味は、人間の究極の欲望は「食欲」と「性欲」とに分けられるからだとか。原始的な発想だが、確かにその通りだろう。


「食欲」に「性欲」と言えば、「タンポポ」(1985年)なども連想するかもしれないが、故伊丹十三監督の作品ほどには食と性とをからめた露骨な描写がある訳ではなく、洗練されている。どころかむしろ、この作品でアン・リー監督が描こうとしたのは、新旧が対峙した葛藤の末、どのように理解しあっていくかということのようだ。

思えば、同監督が、この前に作った「ウェディング・バンケット」も、厳格な父権と伝統的な結婚式が、もはや自分たちの世代にとって無意味であることを感じながら、それらとどのようにつき合っていくかというゲイのカップルの物語だった。もしかすると当時の台湾では、そんな新旧の軋轢がアチコチで見られていたのかもしれない。

この映画の主人公は父と、その娘たちである年頃の三姉妹だ。前述の「ウェディング・バンケット」でも父を演じた故ラン・シャン(2002年没)が、中国料理の伝説的な名人として尊敬される男やもめの父を演じている。

映画は冒頭、丁寧な手さばきで黙々と完璧に料理していく父の姿を丹念に映しだす。それはまるで何かの「儀式」に没頭しているようであり、そんな父の姿からは自己の内面に厳格なルールを持つと同時に、そこから逸脱することを恐れる古い世代の父親像が浮かびあがってくる。

Eat Drink Man Woman (1994) : Opening Cooking Scene


物語は、この料理人の父が老いのためか、味覚を失うことから始まる。

父に対して素直に打ち解けられないものを抱く次女(ウー・チェンリン)が、父の料理の味について言及すると、父は即座にそれを否定する。父娘の間に曖昧さのないことが、この家族を窮屈にしていることが即座に読み取れる、本来いるべき母の不在の影響なども想像させられるファースト・シーンだ。

もはや父にとって、娘たちは自分の理解からは遠い存在であり、娘たちにとっても父は煙たい存在なのだろう。父の味覚の喪失には、そんな娘たちとのすれ違いが象徴されている。

やがて、映画が進むに従い、娘たちはそれぞれの恋に取り組んだすえ、長女(ヤン・クイメイ)と三女(ワン・ユーウェン)は嫁ぎ、なんと厳格なはずの父までもが老いらくの恋をつかみ、家を出ていくことになる。

結局、最後まで家に残るハメになった次女も、仕事で海外に赴任することになり、無人となる家は売られて、ひとつの家族の歴史が幕を閉じていく…。


ラストの場面で、これまで父の聖域であった台所で、次女が父のために料理をする。初めて娘の手料理でもてなされ、それを味わう父の舌には失われていた味覚が突如として蘇る。映画はそのことで、もはや父娘の間に葛藤が存在しないことを伝えて、フィナーレとなる。人間がお互いに理解しあえたと思える瞬間の電撃的な感動が伝わる素敵な幕切れだ。

日本語のタイトルの通り、恋人同士で観るのも良いが、大人の親子で観られる貴重な作品だと思う。蛇足だが、次々と豪華な中華料理が登場するので、空腹時の鑑賞は避けるべきだと警告しておきたい。



Saturday, January 2, 2021

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